ダイエット最大の敵 in New York

 今住んでいるニューヨークでダイエットをしている。

ダイエットは2歩進んで1歩下がるような、歩みとしては若干スローペースだ。

 その理由は分かっている。理想体重の自分ではなくても何も問題がないからだ。

 

 欧米人は日本人みたいに、女性の体型やファッションについて、ひとつの決まった価値観を持っていない。最近の日本では痩せていることが美のひとつの条件だというのは、私に限らず日本人なら誰しも持っている価値観だと思う。

 

 でも欧米人は少なくても日本人ほど、痩せていることに固執していない。だからぽっちゃり目から、かなりふくよかな方まで、この季節にもなると何のてらいもなくショートパンツを履いて、肌見せをする。

 日本ではこういう感覚の人は、海外にいて昨今の日本の事情も知らないけれど、有名人の中では、おそらく渡辺直美さんやそういうことを売りにしている人くらいのものだろう。

    でもニューヨークでは、渡辺直美さんのような人が巷にゴロゴロいて、そしてそれは何も特別なことではない。

 

 この理由について考えてみた。

 はっと気づいたことは、やっぱり欧米人は元来、狩猟民族だったからではないかということだ。

 狩猟の成功には、農耕における成功ほど画一的な価値観はないと思う。力づくで獲物を手に入れる人もいれば、罠をしかけることでそれをする人もいる。100人狩人がいれば、きっと100通りの狩りがある。

 でも農耕民族の農耕におけるセオリーはあっても指で数えられるくらいじゃないだろうか。それが社会の価値観にもつながっている。その集団で好ましいと思われる画一的な価値観が大勢を占める。

 

 狩猟民族は、狩りの成功の可能性はひとつじゃないという考えから、集団で求められたり好ましいとされる要素は、潜在的に多数にあると思っている。それは個人へ向けられる視線も同じだと思う。

 

 太っている、でも何か他の秘められた可能性がこの人にはある。

 

 ひとつの尺度で物事や人を判断しない。

 それが現代の今でも、人々のあり方に影響している。

 私は日本に生まれて、それに感謝しているけれど、こと個人への視線という点では、欧米社会の大らかさや柔軟性がラクだと感じる。

 

 それが、いずれは日本に帰る日のためにダイエットをしている私に、危機感を感じさせない。そしてそれこそが今の私のダイエットの最大の敵でもある。