英語を学ぶということ

 来月、日本に一時帰国することになって、JALに電話をした。

 JALの窓口はいつも混雑している。でも英語の受付だったら、日本語ほど混んでいないと英語でアナウンスがあったので、その日は英語の担当の人を待つことにした。そしてアナウンス通り、いつもより早く担当者につながった。

 英会話では、特に電話での英会話が苦手、という話をよく聞くけど、私はむしろ、アメリカ人(特に若いアメリカ人)の他愛もない目的がはっきりしないおしゃべり英会話のほうが苦手だ。

 その点、電話は友達に電話するのでもない限り、どこにかけるのでも目的がはっきりしているから、自分が言いたいことも、それに対する相手の返事もある程度予想がつくので、会話を聞き取りやすい。

 JALの担当者はアメリカ人の男性で、いつもの日本人の女性の担当者よりもずっとカジュアルな対応で、お互いに変な気を遣うこともなく、あっさりと用事は済んだ。

 

 英語は大学で英文科を選択して、それからも普通に英語を使えるようになりたいという漠然とした目的のために、それこそずっと勉強してきたと思う。

 でも、この日本語ではなく敢えて英語を選択したこの日、私は語学を学ぶ価値をはっきりと実感した。

 母国語以外に他の言語を使えれば、世界は倍になる。

 北米JALの電話窓口の場合、日本語のみでは窓口はひとつだけど、英語もできれば、受け付けてくれる窓口はふたつになる。

 これはとても大きなことではないだろうか。

 可能性がひとつではなくふたつある。

 可能性が増えるということはつまり、人生がそれだけ自由になるということだと思う。

 

 ずっと英語を勉強してきたけど、語学が与えてくれる価値をはじめて実感することができた。